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2011年 12月 05日

弁財天前・(北九州市若松区)

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▲市営バスと旧古河鉱業ビル

(青空に、若戸大橋の鮮やかな紅色が映えています。 かつて筑豊炭田から川平舟や鉄道に載せて運ばれた石炭の積み出し基地として繁栄を極めた若松の町。 その当時の余香を残すように古い建物がいくつか存在します。 とくに、写真左にある旧古河鉱業ビルはその代表的な存在として今でも威風堂々とした佇まいを見せています。 西鉄の牙城である北九州ですが、洞海湾によって隔てられた旧若松市では市営バスが独自に路線を展開したため、五市合併以降も北九州市営バスは若松に路線網が偏っています。 開通当時は東洋一のつり橋を誇った若戸大橋も、もう来年で50周年を迎えます。)



◎YouTubu動画→クリック
(路線バスの走る風景など各種動画を投稿致しております。どうぞご覧下さい。)
最終投稿日:23/10/22



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◎読み・・・べざいてんまえ
■運行・・・北九州市交通局
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by hansman | 2011-12-05 06:00 | (福岡県)・八幡/戸畑/若松 | Comments(6)
Commented by 三ちゃん at 2011-12-03 17:19 x
海の匂いって良いですね。
ここの眺めが1番好きです。私もAU時代にこの辺りを
歩いて撮りまくりました。
旧、古河鉱業のビルは若松のシンボル的なビルですね。
石炭最盛期は若松駅構内には石炭の山が沢山有りました。
遠賀川から折尾駅前の堀川を五平太舟が石炭を満載して
洞海湾から若松港へ  石炭列車も我が家の前を通って
若松へと走っていました。若松から此の景色を取ったら何も
残らないです。渡船も戸畑に通勤の際に相当乗船しました。

Commented by hansman at 2011-12-03 23:36
≫三ちゃん

こんにちは!

晴れた日にこの辺りを歩くと本当に気持ちが良いです。

このあいだ渡船に乗ったら客はたった4人だけでした。最盛期の渡船は凄い客数だったのではないですか?
Commented by 三ちゃん at 2011-12-04 15:46 x
昭和30年代は若戸大橋もなく自動車は私宅近所のR199を
相当数の車両が走っていました。当時は若松渡場行のバスも道路も狭くすれ違いが困難な所が有りました。通勤時は渡船はピストン輸送でしたよ。乗船客はとても朝夕は多かったです。
Commented by hansman at 2011-12-04 18:03
≫三ちゃん②

そうそう、たしか15年くらい前までは、朝夕はちゃんと3隻の渡船が間断なく循環していて、渡し賃も20円だったはずです。1隻が何れかの渡場で客扱いしている間に、あとの2隻は動いていたと思います。 それでも昭和30年代に比べたらたいしたこと無いんでしょうね!

昔は渡場ゆきのバス路線で、そんな狭い道を走る箇所があったんですか♪ 今光峠なんかも今よりもずっと峠っぽい感じだったのではないかと思います。
Commented by 三ちゃん at 2011-12-05 14:19 x
今の童子丸付近だけが広く今光から鉄道工場から駅付近まで
離合がやっとの道でした。二島新道~白山神社付近も狭かった。
若松駅はR199沿いに正面が有り立派な木造建築の駅でした。
ホームもう1面有ったと思います。洞海湾の駅構内には船が横付けで岸壁から船には足場板を置いて労働者がモッコを担いで船に
石炭を運んでいました。今ならクレーンでしょうがね。
Commented by hansman at 2011-12-06 12:34
≫三ちゃん③

あの199の道がそんなに狭かった時代があるとは驚きです!

やっぱり明治期から電車軌道が敷かれて拡幅された小倉や八幡の道と違って、若松は鉄道と海運が主体で旧唐津街道そのままの雰囲気が未開発のまま残されていたんでしょうね!


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